『アウスグライヒ』
厚ぼったい白がのし掛かる景色に色を探した。頭から空に侵食された高層ビルの群れが、無気力にそびえているのが遠くに見える。目を落とすと庭が力なく横たわっていて、どこかグロテスクだった。
「昼なのに外に出る人間はいねえんだな」
哀れな庭を弁護するように伊達は呟く。返答のかわりに背後で衣擦れの音がした。
見える景色も聞こえる音も、全てがうすら寒い。錦山が窓を見ないのは生きる意志があるからなのだろうかと振り返りながら考えた。
「何を不貞腐れてるんだお前は」
神経を逆撫でさせようとわざわざ笑顔を作る。怒鳴られるのを期待していたが錦山は反応を返さなかった。返さないように努めているのが伊達にはわかった。
「泣くか?ん?」
錦山の怒りは最高の笑顔で迎えてやる。殺風景な病室を彩ることができるのは華やかな会話ではない。怒りがこの空間に緊張と息づきを与えられる。
それも、理不尽に対する怒りが。
錦山が伊達を睨む。溶けて流れる金属のようにたぎるものを鈍く瞳にたたえて。
伊達は目を細めてまたひとつ微笑んで見せる。とうとう錦山が潰れそうなほどに拳を握りしめた。
「泣けよ、駄々っ子だけの特権だぜ」
言うと同時に錦山の瞳が一層光を集めた。焼けて爛れた頬がその様をより艶やかに見せる。 酷くも美しい。伊達は顔をしかめて口角だけを嗤わせた。 思う通りに動かない脚で毛布をはね除け、瀕死の獣のように錦山が身体を起こす。筋肉の落ちた自らの腕にもたれつつ、ベッドから這い出る姿は熔岩のようだ。
「おう、頑張れ頑張れ」
伊達がかける声は明るい。脚を引き摺りながら錦山が喉で唸る。頼りなく自分に向かってくる様に、歩き始めた頃の幼い沙耶が重なった。懐古の感と嗜虐心をくすぐられ、嗤わずにいられない。
あと一歩と迫った所で娘にそうしたように、大きく腕を広げる。すかさず錦山が拳を、その身体ごと叩きつけてきた。絡まるように床に倒れる。受け止めた衝撃の軽さに、伊達は僅かに失望を感じた。
「こりゃあもうダメだな…」
独り言のように囁く。時間をかけて半身を支え、伊達の顔を挟むように腕をついて錦山が見下ろす。見たことのない恐怖に耐えるように、その眼の怒りを不安で覆っていた。
伊達は優しくその両肩を掴み、壁にもたせかける。茫然と座り込む錦山を尻目に着衣の乱れを直し、扉へ向かう。
「また来る」
労るように微笑んで部屋をあとにした。笑顔はそのままに歩き出す。扉に投げつけられた花瓶が派手な音を立てるのが背後に聞こえた。
これでいい。あいつはまだ生きる。
全てを失った錦山を埋めることは自分には無理だと伊達は自覚している。自分が与えれば与えるほど、救おうとすればするほど、錦山を錦山たらしめる激情と孤高が風化すると理解している。
即ち、『協和』が錦山を殺す。
『協和』の中で生きる伊達が強いてできるのは、錦山を『協和』から少しでも遠ざけることだ。
憎悪と敵意。それだけが伊達と錦山を繋ぐ。
「もうちったァ」
靴音だけが苛むように廊下に響く。
「強ぇと思ってたんだがなぁ」
歩を緩め、片手で顔を覆う。 結果として活かすことになるのなら、いくらでも憎悪の泥を呑もうと決めていたのではないか。
「情けねぇ」
叱責を無視するように、ささやかな願いが頬を伝った。
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