『フェアリィ・テイル』



風間組組長が何者かに撃たれた。
その事件は極道の間では震撼するべきことだったが、一般人の間では単なる暴力団の抗争にすぎなかった。
街は殆どの人にとってはいつもの平和な街であり、いつも通りの一日が過ぎていく。
だが、その事件に繋がりのある人間にとっては別だった。
冬の街は冷たい風が吹きすさぶが、クリスマスの飾りで彩られている。
楽しそうに予定を話し合う若いカップルの横を、伊達はすり抜けるようにして歩いて行った。
これから、この神室町全ての事務所に聞き込みをしないわけにいかない。
あったことをありのまま言う者もいれば、門前払いを食らわす者もいるだろう。
しかし、伊達はそれをしないわけにはいかなかった。
彼が探す10年の真実のためにも。


伊達は主要だった組に順番に回り、そして最後に錦山の事務所に訪れた。
てっきり門前払いを食らうと思っていたが、若い舎弟が丁寧に伊達を待たせた後に、事務所の奥に通してくれた。
事務所の空気はまるで通夜のように暗かった。
伊達は心のなかで呟いた。無理もねえ。てめえの親父の親が撃たれたんだからな。
その日の錦山は様子が違っていた。
確かにいつもどこか緊張感を纏った男だった。
目は常に周囲を見渡し、針で刺されるかのような威圧感がある、そんな男。
だが、今日はいつにも増して周囲を警戒している。 それは威圧というよりはむしろ手負いの獣が発する不穏なオーラのように思えた。
「何しに来やがった? とっとと失せやがれ」
錦山は呻くように呟いた。
発音も不明瞭でよく聞こえなかった。
伊達がそんな風に聞こえたというだけだった。
「通してくれたのはヒマだからじゃなかったのか?」
伊達は軽口を叩く。
だが錦山は反応すらしない。
頭痛がするように頭を手で押さえて何か考え込んでいる。伊達は思わず言った。「お前、どうした?」
「気分でも悪いのか?」
「うるせえ! 放っといてくれ!!」
伊達はその様子を見て、目をしばたかせた。
それほど錦山の様子は見るに忍びなかった。
今、彼が傷ついているのがわかった。
組の者が彼をそっとしているのも同じ気持ちからだろう。
組を割った人間でも、やはり親代わりの人間が狙撃されたのだ。その心中は穏やかではないだろう。
けれど、と伊達は思った。 この錦山という男は気遣われることを嫌う男だ。
今も、部下たちが気を利かせていることに関してすら苛立っているのだろう。
必死に「自分は傷ついていない」という演技を続けたいはずだ。
伊達は天井を見て軽く息を吐いた。
「風間を撃った野郎の情報は、全くと言っていいほど出てこねえ。もっとも、それにこだわってんのは極道以外じゃ俺くらいだがな」
錦山は黙り込んでいたがふいに口を開いた。「いいのか? そんなことを言って」
「それとも俺から何か聞き出すために、いいかげんなこと言ってんのか?」
錦山の目は挑むように伊達を見据えた。
伊達は革張りのソファにかけたままで言った。「極道同士だ」
「てめえらはサツを呼ばなかっただろ? 証拠も全て消しやがって。風間が狙撃されたことだって俺があいつの部下やらなにやらを落としてようやく聞き込んだんだ」
「……」
錦山は再び黙り込んだ。
伊達は一言吐き捨てた。「ったく、」
「やりにくいったら、ねえぜ。お前ら相手は」
「伊達さん…」
ぽつり、と錦山が伊達の名を呼んだ。
「……あんた、死にたくなきゃ、この件はもう探るな。手を引け」
「なんだそりゃ?」
伊達が片目を窄める。
「まさか職場のお偉いさん以外にも同じこと言われるとはな?」
伊達が苦笑して錦山に言った。その笑顔に錦山の無表情な顔がほんの少しだけつられて笑った。
だが、ほんの少しだった。錦山が続ける。「この件は――」
「あんたが割り込んでいい事件じゃねえ。俺らでなんとか片す。いいから、他の仕事してろ?」
伊達の表情が緊張する。「まさかてめえらで弔い合戦でもする気じゃねえだろうな?」
錦山は氷のような無表情を崩さず言った。
「まだ、くたばっちゃいねえだろ?」
「ああ、まあ。そうか」
伊達は軽く首を傾げて立ち上がった。錦山の様子から、もう何を話しても無駄な空気を感じた。そろそろ引き上げ時だ。
ソファが軽く音を立てた瞬間、錦山はチェアに体を預けて、伊達を見ずに天井を見たまま言った。「俺は時々思うんだ」
「俺がこんな立場じゃなくて、もっとヒラで……いや、もっと……違うことをして食ってたら、俺はあんたと全く違う会い方をしていただろうな」
「……何言ってんだ?」
「聞き返さないでくれ」錦山の声は真剣だった。「黙って聞いてくれ」
「今と違う自分……きっと、あの時に……」
錦山の声が震える。
「違うことをしていたら、ひょっとして、俺は……」
錦山の声が詰まった。悲痛な声だったので、伊達はそれをそれ以上聞くことにならなくてよかったと思った。
伊達は無意識に錦山の傍に寄り添った。
錦山は、眩しいかのように目を片手で覆った。
伊達は静かな声で聞いた。
「何の話だ?」
錦山は自嘲気味に言った。「おとぎ話だ」
「叶わない夢物語だ」
錦山の声も唇も震えていた。
伊達は胸がつまった。どうしていいかわからなかったが、なぜかその震えを止めたかった。止めたくて、体を動かした。
錦山の唇に、自分の唇を押し当てた。
それは触れただけの柔らかなくちづけだった。
伊達もすぐに体を起こしたし、錦山も慌てて目から手をどけた。
お互いに何が起こったのかわからない様子で見詰め合う。
伊達は頬に熱さを感じながら、小さな声で言った。「いや、その……」
「こうすれば、おとぎ話じゃなくなる。そんな気がして……」
錦山は何も言わず呆けたように伊達を見る。
伊達は慌ててコートの襟を正すと「じゃあ、邪魔したな」と言って、部屋を出ようとした。
その背中に鋭い声が被さる。「伊達さん!!」
振り返ると錦山が泣きそうな声で叫んでいた。
「この件、本当に手を引いてくれ!! お願いだから、絶対にこれ以上調べようなんて思わないでくれ!!!」
その声の真剣さに気おされて伊達は返事もできずに部屋から出ていた。
帰り道、車のステアリングを握りながら、伊達は錦山のことを思い出していた。
なぜ、自分はあんなことを。
だが、あの時の痛々しい錦山を見て、なんとかしたいと思った。
それは同情なのかもしれないが、真剣な気持ちだった。
「おとぎ話か……」
伊達は一人ごちた。
「悲しいこと言いやがって」
信号が変わりアクセルを踏み込む。ふと、視界に病院が映り、風間を思い出した。
瞬きする。その瞬間に血が引く。
錦山のあの時の言葉が思い出された。『まだくたばっちゃいないだろ』。
あの野郎、何で風間の容態を知ってやがる。どの極道も撃たれたことしか知らねえはずなのに。
次いで錦山の懇願が思い出された。『頼むからこの件から手を引いてくれ』と。
伊達は再び一人ごちた。
だが、今度の声は困惑していた。
「……どうすりゃ、いいんだ……」
ステアリングを握る伊達の指は力の入れすぎで真っ白になっていた。



end


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